うぇい。の徒然草(ブログ)
【地域おこし協力隊】与謝野町、観光するならここ② ~江山文庫①~
どうも。
うぇい。です。
前回、与謝野町来たならここ行きな、第1弾。丹後ちりめん歴史館を紹介させてもらったけども、今回は第2弾でございます。
次に連れて行ってもらったのは「江山文庫」
こうざんぶんこ
と読む。
与謝野町は名前からなんとなくイメージがつくと思うんだけど、あの有名な歌人・与謝野晶子に縁のある地でして、江山文庫はそういった俳句・短歌の資料館。
個人的には与謝野っていうと、与謝野晶子・で、ほか知らないっていうレベルの文学リテラシーの低さやねんけど、与謝野晶子のご主人である与謝野鉄幹も有名な歌人なんね。
与謝野晶子は鉄幹に嫁いだから与謝野の姓になっているわけで、そういう意味では与謝野町は与謝野晶子に直接縁があるわけではなく、結果、ゆかりのある地になったって感じだよね。
で、元々は鉄幹のお父さんである礼厳の出生の地、なんだよね。だから、結果として鉄幹・晶子もゆかりの地になった、という感じで。
ちなみに礼厳は僧侶だったんだって。元々細見っていう姓だったのを、僧侶になって自ら「与謝野」って名づけて、そこから与謝野姓ができたらしい。
で、与謝野の里繁栄のために、学校やら病院やらの設立にも尽力したらしく、礼厳に感謝の意をこめて、石碑を町の人たちが建てたみたいね。
お坊さんだったけど、今のお坊さんとはちょっと違って、昔の僧侶、だから結構位の高い人だったんだねぇ。
っていう、そんな与謝野の村だけど、ゆかりある人がまだいて、それが「与謝蕪村」
名前くらいは聞いたことある,と思うんだよねぇ。
江戸時代のころの俳人さん。松尾芭蕉・小林一茶とともに三大俳人といわれていた…って、これ、今調べて知るわけで苦笑
てか、忘れてただけだと思うんだけどね。
そんなミジンコな記憶力のうちでも名前位は覚えている与謝蕪村。
与謝野晶子よりこっちのほうが衝撃やったわ。
で、彼のお母さんが与謝野出身だったみたいで、そこからとったんだって。与謝・は。
ってことで、与謝蕪村のゆかりの地でもあるのが、ここ、与謝野町。
(正確に言うと、与謝野町の加悦地区になる)
と、いうことで、なかなかに短歌俳句に精通しているのが、この与謝野町で、短歌とか俳句の歴史的資料を保存しているのがこの江山文庫。
奥には和室があって、貸し会議室として貸し出したりもしているし、与謝野晶子の命日を「白桜忌」というんやけど、その日にあわせて、句会もやったりするらしくて、その会場に使われたりするんやって。
で、そのときには床の間に晶子の掛け軸を飾るんだと。オツだよねぇ。
っていうのを、教育課の江山文庫担当の方が説明してくれまして。
この方の説明がめちゃくちゃ分かりやすい。そして面白い。
そう。この江山文庫は教育委員会の施設。
さらに、期間期間で色々展示会をしているらしく、この4月14日までは「絵とことばの競演」っていう展示会をしてて。
これは、俳句+画が一緒になっている作品を展示してるんだけどさ。
江山文庫はあくまでも「俳句と短歌に親しむ人を増やしたい」っていうために色々やってることだから、与謝野晶子とか鉄幹、とか俳人・歌人にフォーカスされて組まれた展示会じゃないんだよねぇ。
だから、色んな歌人さん俳人さんの作品があったんだけどね。
この世界が、もう、奥が深くって!!!!
って、なんか、ここからさらに語るので、一旦ここで終わり!
しかし。
与謝野町って、京都府の与謝郡ってところの1つの町なんだけど、この、与謝郡はさ、昔は丹波の国として存在してて、奈良時代から存在している場所だから、そう考えるとすごく歴史ある町だよなぁ…なんて思ったりもして。
まぁ、神戸も歴史ある街だとは思うんだけど、それを感じていなかったのは都会化が進んでるからなんかなぁ。。。
古墳とかあるから全然その時代からある街なのに全然その感じがない・・。
町というより、これもウチの感じ方の問題かな。
ということで次回に続く!
江山文庫
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